備忘録と、日々の泡


by tessai-bose
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カテゴリ:音楽( 4 )

COUNTDOWN JAPAN 09/10

今年も行って参りました幕張、rockin’onカウントダウンジャパンライブ。
といっても31日でなくて30日ですけど。
今年も友達が仕事で来れなくなり、一人参戦です。
一人上手と呼んで下さい。

大きな音に鳥肌が立つ。
まずはGOING UNDER GROUNDである。
ボーカルがキャイーンの天野くんに似ているが性格が2枚目なので、なんとなく不快である。
清涼感のある歌声の半端デブといったところか。

トータス松本は一番大きなアースステージを十分に魅了した。
外人のファンクの大物歌手風の、派手なスーツで腹に詰め物をして出てくる等、くすぐりもうまいし歌手だから歌もうまい。心地よくかすれてボリュームのある高音である。歌はストレートで強い。
世間のイメージと自分のイメージは違うと語っていたが、成る程繊細な演出、歌声であった。

幕張メッセの5ステージ及び巨大な飲食スペースで繰り広げられる饗宴は壮大なるひきこもりの感がある。
屋内ライブでのLOVE&PEACEは光と音が埃と暗がりに乱反射して屈折して響く。
屋根を支える鉄骨の構造剥き出しの会場は近未来の大シェルターであり、パンとサーカスを求めて避難民がぞろぞろと移動していく。

安藤裕子はシャウトがほぼ悲鳴である。
少し壊れてしまった人なのだろう。鼻白む真面目さである。
高い声は安定して冷たいが、より高い声と低音は表情が豊かで面白い。
MCで急におどけたりして、少しイタい。
暗い女歌というのは結構好きだが、中島みゆきとは比較にならない。
包容力というか、聞き手の入る隙間が欲しい。
包容力がどうやってでるのかは不明である。
今日私が偉そうなのは、『美味しんぼ』をさっきまで読み耽っていたためである。

カジヒデキの半ズボンに殺意を抱く。

東京事変は盛り上がった。
「閃光少女」、そして、ポッキーのCMのやつ。
声量は少ないが、それをカバーして余りある存在感と演出。
メガフォンで扇動者を装い、挑発的でノイズに満ちた嬌声をあげる。
どこまでも知的であり、ショーである。
コンサートで聞く歌は別に巧くないがやたらと昂揚する。
彼女の歌声の中の、無機質と有機質の融合がエロチックなのである。
このライブ会場も巨視的に見ればエロチックなのか。

事変に後ろ髪引かれつつ、同じ時間にやっているギャラクシーステージのYO-KINGへ。
「きれいな水」の途中であった。
知ってる曲はやはり嬉しい。
MCの最初に「ここに天才がいます」と。
相変わらずのKING節ではある。
「数字」「ターン」「審美銃」「HEY!みんな元気かい」「遠い匂い」で終わり。
自称「二十年間上機嫌男」の相変わらずなステージで元気が出る。
健康的なグータラ、生命讃歌であるよこれは。
「きれいな水をごくごく飲むのさ 穢いぼくとまざって丁度良くなる」
「悲しみの涙で育った大きな樹を どこまでも登っていけば いつか必ず月へつくだろう。そこで音楽を聴いて踊ろう」

グループ魂は前説が面白かった。
ロックファンの懐は広いということか。

曽我部恵一バンドはテレフォンラブという曲を聞いた。
曽我部恵一らしき人は歌が凄くうまい。
声の質感がワーッと圧力になってくる。
客との掛け合いの妙。やはりみんな、歌が聞きたいのだ。

さかなクションはテクノと根暗青年の青春歌といった異色な組み合わせ。
若者が優しくていい人ばかり。
滅びるよ日本は。

ディズニーランド浦安の張りぼてを過ぎて、おいでませ大人のテーマパークといった感の海浜幕張である。
張りぼてすら諦めた暗がりのテーマパークは、クリーンでクールな大人のテーマパークである。
不健康ではあるが、危険ではない。
今年からはモッシュ&ダイブも絶対禁止で、主催者の言いなりに高い酒と高い飯を行列を作って味わい、お行儀よくお歌を聞いている。
田植えじゃないんだから、一緒に動かなくてもいいし。
自分も含めてだが、日本人は真面目なんだなーあと思った。
このライブにはファックとドラッグが足りない。せっかく仮眠エリアがあるんだから。
とか何とかいいつつ、来年も多分行きます。
飯は腹いっぱい食って、酒は持参で行きます。
髪を肩まで伸ばして、会場でガンジャを売り捌きます。
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by tessai-bose | 2010-01-01 22:31 | 音楽

yuiたん

yuiの歌はいいなあ
大人みたいで子どもみたいで、甘いようで辛くて。
ぶた!
と罵られて、とんがった靴で蹴られてもいいみたい。
おじさんにたにたしちゃう。
今yuiが休みなのは私と半同棲状態にあるからです。そうだ、そうに違いない。
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by tessai-bose | 2009-05-09 02:19 | 音楽

ユーミン強化月間

ユーミンのコンサートに一度行ったことがあって、声があまりに男前でびっくりしたことがあったが、ひょんなことから今月末にまた行くことになった。自分の歌を音階下げて歌う歌手ってどうなのよ。

そういえば以前、ユーミンこと松任谷由実(本名・岩岡和郎)の「灯りをさがして」という曲の一節に
「人は耐えきれない痛みを耐えられはしないの」
というのがあって、本当にしみじみと感服したことがあった。
ところが、「人は耐えきれない痛みを与えられはしないの」であったことに最近気づき、なんだ案外凡庸だなーとがっかりしたことがある。

しかしやっぱりユーミンは凄い人で、例えば僕は「ふってあげる」という歌が好きなのだが、出だしの
「今夜私死んでしまおうかな おどかしたってもう帰らぬ心」
などというのはとても面白い。
「今夜私死んでしまおうかな」というのがまずは本心としてあり、と同時に「おどかしたってもう帰らぬ心」と、そんな自分の心情が脅し文句に使えるかもしれないが媚を売ってももはや無駄だと瞬時に気づく、醒めた目線もあわせもつ女心というのをよく表していると思う。
女心、などというとそれだけで男女差別とか言われそうだが、そういうバカなことを言うのはおそらく男だろう。

「ひたむきな視線や そのシャツの匂いが 私をすり抜けて やがて薄れていく」
というくだりも好きだ。
女は終わった恋に拘泥しないから冷たいとか何とかいうのはバカな話で、女の冷たさはまっさきにその女自身を射抜いている。それがほんとうの批評精神だと思うが、それは批評というよりは言葉にできない皮膚感覚的なものかもしれない。もっとも皮膚感覚的な言葉にできないものを言葉にするのが批評かもしれないが。
ぼくは男なのでユーミンの歌をノスタルジーやラブソングといった、男の甘い文化のオブラートで包み込んで賞味しているが、ユーミンの歌はもっとなにか非人間的なまでに厳しいものを歌っているのではないかと感じることが時々ある。
ユーミン大好きな友だちが、「ユーミンは恋愛なんかを歌ってるわけやないんや」と言っていたのを思い出す。
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by tessai-bose | 2009-04-10 01:08 | 音楽
昨日、12年間続けていたことに一応の区切りをつけた。
といっても、ストーキングと読経ではない。


何かが終わったなという感慨はなく、『キッズ・リターン』ではないが、「ばかやろう、はじまっちゃいねえよ」といった感じ。
ホームに一人で電車を待っていると、真冬なみに寒かった。

一杯呑んでから自転車で帰る。
小沢健二の「天使たちのシーン」。
低くくぐもって震える確信に満ちた声が、いつも心を整えてくれる。
日常のなにげない一瞬が、ゆるぎない大きな何かに繋がり得ることを感じさせる。
曲の中で、誰かが離した風船の行方を、街を行く人のうちの数人だけが気にして見上げるシーンがあるが、より高く広い方に聴く人を向かわせる曲だ。

「大きな音で降り出した夕立の中で 子供たちが約束を交わしている」
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by tessai-bose | 2009-03-29 01:47 | 音楽