ユーミンのコンサートに一度行ったことがあって、声があまりに男前でびっくりしたことがあったが、ひょんなことから今月末にまた行くことになった。自分の歌を音階下げて歌う歌手ってどうなのよ。
そういえば以前、ユーミンこと松任谷由実(本名・岩岡和郎)の「灯りをさがして」という曲の一節に
「人は耐えきれない痛みを耐えられはしないの」
というのがあって、本当にしみじみと感服したことがあった。
ところが、「人は耐えきれない痛みを与えられはしないの」であったことに最近気づき、なんだ案外凡庸だなーとがっかりしたことがある。
しかしやっぱりユーミンは凄い人で、例えば僕は「ふってあげる」という歌が好きなのだが、出だしの
「今夜私死んでしまおうかな おどかしたってもう帰らぬ心」
などというのはとても面白い。
「今夜私死んでしまおうかな」というのがまずは本心としてあり、と同時に「おどかしたってもう帰らぬ心」と、そんな自分の心情が脅し文句に使えるかもしれないが媚を売ってももはや無駄だと瞬時に気づく、醒めた目線もあわせもつ女心というのをよく表していると思う。
女心、などというとそれだけで男女差別とか言われそうだが、そういうバカなことを言うのはおそらく男だろう。
「ひたむきな視線や そのシャツの匂いが 私をすり抜けて やがて薄れていく」
というくだりも好きだ。
女は終わった恋に拘泥しないから冷たいとか何とかいうのはバカな話で、女の冷たさはまっさきにその女自身を射抜いている。それがほんとうの批評精神だと思うが、それは批評というよりは言葉にできない皮膚感覚的なものかもしれない。もっとも皮膚感覚的な言葉にできないものを言葉にするのが批評かもしれないが。
ぼくは男なのでユーミンの歌をノスタルジーやラブソングといった、男の甘い文化のオブラートで包み込んで賞味しているが、ユーミンの歌はもっとなにか非人間的なまでに厳しいものを歌っているのではないかと感じることが時々ある。
ユーミン大好きな友だちが、「ユーミンは恋愛なんかを歌ってるわけやないんや」と言っていたのを思い出す。